Pinumu Pasaule
ピヌム・パサウレ かご工房 ラトビアの首都リガにある1985年創業のバスケットメーカー。創業者のPeterius Tutans(ペテリス・テュタン)さんはラトビアの伝統手工芸品である「かご編み」を家族から学びバスケットを作っていましたが、しだいに彼の作るバスケットの美しさが評判となり、本格的なビジネスがはじまりました。 Peteriusさんのかご工房では、かご編みはもちろん、原料となる柳の栽培から、編む前のヤナギの下準備などもすべて熟練の職人さんたちが手作業で行っています。 現在ではラトビアで有数のかご編み工房として国内外に彼らの美しいバスケットを届け続けています。
ラトビアの首都リガの旧市街
ラトビアに伝わる手仕事
北ヨーロッパ、バルト海に面した国ラトビア。バルト三国の真ん中のラトビアは、日本の約6分の1、北海道の8割にも満たないほど小さな国土です。その約半分は森林で、首都からでもたった10分車を走らせれば森に入ることができるほど。1000を超える河川や湖沼も、平坦で緑豊かな大地に広がっています。 いつもすぐそこにいてくれる手付かずの自然の中で、 多くの人々は週末になると郊外の森で過ごし、四季折々の美しい移ろいを楽しんでいます。ラトビアの人々はこの恵まれた環境を大切に、昔も今も、自然と共に暮らしています。 また、近隣諸国に支配され続けた歴史をもつラトビアは、侵略され続けた過去の影響からか、謙虚で忍耐強い国民性と言われています。そうして異なるさまざまな文化や影響を受け入れ、自然と国民性の背景にして、ミトンに代表される編み物、麻の織物、白樺や樫の木などから作られる木製品、手編みのバスケット等々丁寧で素朴で美しい手仕事でも溢れています。
リガで丁寧に編まれたかご
スタッフ エグチ
ラトビアの首都リガは「バルト海の真珠」と称えられる美しい港町です。ペンケースに色鉛筆をぎゅうぎゅうに立てたみたいにカラフルで、さまざまな様式の建築物がところせましと石畳の複雑に張り巡る路地にずらりと立ち並んでいます。おとぎの国とか絵本の世界と言われるように、ヨーロッパ中世の面影が色濃く残る旧市街は、世界文化遺産に登録されるほど歴史的価値が高い場所です。
スタッフ エグチ
そこから車で15分ほど郊外に進んだところに、このバスケットを作っているバスケットメーカー 、PINUMU PASAULE(ピヌムパサウレ)があります。柳の栽培から、編む前の柳の下準備、かごの編みあげのすべてを熟練の職人さんたちが手作業で行っています。
工房を営むテュタン夫妻
昔から作られ続ける手編みの工芸品は、ヨーロッパでも日本でも、その土地ごとに身近な自生する植物を活用してつくられてきました。日本でいえば竹や井草、稲藁などですが、ヨーロッパでは籐やヤナギが使われてきました。ピヌムパサウレの工房は伝統的な手仕事を守り続け、ヤナギの栽培から、編む前の柳の下準備、そしてかご編みまでの製造のすべてを熟練の職人たちが手作業で行っています。

ヤナギと聞くと枝垂れている植物をイメージされる方が多いかもしれませんが、ヨーロッパのヤナギは地面から真っ直ぐ育ちます。ひとつの株から何本もの茎がでる株立ちのため、収穫時期には緑の壁のように生い茂るヤナギ畑から、ちいさなハサミで1 本1 本刈り取ります。
固いヤナギを柔らかくするために、四角いタイル張りの湯がまに入れ茹でます。煮終わると2m以上ありそうな大きな三股槍で掬い上げ、樹皮を人の手で1 本1 本剥いでいきます。皮を剥かれ調ったヤナギはまた束ねられ、浮いてこないようにレンガを置いて、今度は水につけておきます。水から出したヤナギは1 本ずつ、机の端にある固定具を使って巾取りし、裏を剥いで薄くしていきます。かごによっては皮を剥かずにそのまま使用することもあります。するすると余分な部分を剥いだら、束ねて乾燥させます。乾燥させたり、水にくぐらせたりを繰り返すことでしなやかさが増していきます。 ヤナギの栽培には数年単位かかり、編むまでのこの下準備の工程に半年ほど。ここまでですでに相当な手間をかけてようやく編む工程に進みます。
編むまでの下準備を終えてこの状態の材料にする工程に半年ほど。

作業前日、乾燥したヤナギをもう一度水に浸し、柔らかくします。こうしてやっと編みはじめられ、いよいよかごになっていきます。高さのあるかごを編む時には鍋を重ね、おさえるための重石にはレンガを使うなど、生活にあるものを活用する背景にも人の作った温かさを増すような気がします。 こうして最初から最後まで、人の手でもくもくと繰り返される丁寧な作業でようやく完成するのです。
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